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図書新聞経済時評1998.12.

 

資本主義社会の新たな構想を求めて

――市場を肯定しながら限定する

 

橋本努

 

 ポール・クルーグマンの近著『資本主義経済の幻想』(北村行信訳、ダイヤモンド社)は、流行りのエコノミストたちの論調を批判した切れ味のよい時論集である。中でも興味深いのはジョージ・ソロスとの対談だ。ソロスはグローバルな自由放任主義が不安定な社会をもたらすとして、市場の欠点を国際協調によって修正していくべきだと主張する。これに対してクルーグマンは、無拘束な市場経済など誰も肯定していないのだから、もっと的を絞って批判しろと応酬する。そもそも自由放任というのは、資本主義の現状認識として適切ではない。この点からしてソロスの市場経済批判は、抽象的なものにとどまるというわけだ。これは手厳しい批判である。

 なるほど最近のグローバリズム批判の中には、人々の心情や経済倫理(エートス)に訴えるものが多く、それらはともすれば、市場メカニズムを過信してはならないとする説教に終わりがちである。しかし重要なのは、資本主義社会の将来をどのように構想するのかという点であろう。クルーグマンは、一方でグローバリズムを肯定しつつ、しかし他方では、国家の運営を有能なビジネスマンに任せるような「自由化」には反対する。なぜなら国家の経済政策は、企業の経済戦略とは違って「閉鎖系」を条件づけられており、そこではある業種がうまくいっても他の業種がうまくいかないという「ネガティヴ・フィードバック」を受ける可能性が高いからである。クルーグマンによれば、経済学はビジネスに役立たないが、逆もまた真なりで、ビジネスで学んだことは経済政策の策定には役立たない。したがって国家の政策運営については、市場化を限定するわけである。

 なるほど国家政策の運営それ自体を市場化できないとしても、政策の中身については、市場化を目指すことができるだろう。デイヴィッド・ボウツ著『リバータリアニズム入門』(副島隆彦訳、洋泉社)は、福祉国家の経済政策を批判し、雇用、教育、医療その他の諸領域において自由化を求める社会構想を、現代の社会問題と絡ませて明解に打ち出している(ただし第一〇章「現代の諸問題」の翻訳は省略されている)。ボウツのいうリバタリアニズムとは、一八世紀に生まれた古典的自由主義を基にして、政府・経済・倫理のすべてにおいて一層の自由化を求める思想運動を指す。しかしその場合、中間集団のレベルでは「自発的な相互扶助」を奨励し、社会主義社会を目指す実践を許容するという点に特色がある。つまりリバタリアニズムは、ローカルな共同社会のネットワークを妨げず、むしろその土壌となる社会条件を提供しうるのである。国家は市場を肯定すべきであるが、しかし民衆レベルの運動によって市場を限定することができる。これがリバタリアニズムの基本的な発想である。

 しかしこうしたリバタリアニズムの思想は、どこまで相互扶助原理を肯定できるのだろうか。例えばイギリスの経営思想家チャールズ・ハンディは近著『もっといい会社、もっといい人生』(埴岡健一訳、河出書房新社)において、企業運営の民主的参加を促すために、株主の権限を利害関係者たちに限定すべきだと主張している。ハンディが構想する社会は、一方では政府の諸事業を民営化しつつ、他方では市場経済の中に信頼と協力の関係を築いていくような社会である。この考え方は、弱肉強食の市場原理を緩和する点で社会民主的であるが、しかし国家の基本構想に関しては、多くの点でリバタリアニズムの教義と一致する。

 もっともハンディの思想がリバタリアン的でないのは、ビジネスマンに対する倫理的な自己啓発を志向している点であり、本書の魅力はまさにそこにあると言えるだろう。例えばハンディは、次のような米国のデータを持ち出してくる。

 全労働者のうち四二%が一日の終わりに「疲れ果てた」と感じている。親が子供のために費やす時間は三〇年前に比べて四〇%減少した。国民一人当たり消費額は過去二〇年間で四五%増えたが、生活の質を表す指数は四五%後退した。「良い生活を実現する機会がある」と感じている若者は、二〇年前には四一%いたが、今では二一%にすぎない。……

 こうしたデータを見ると、どうして私たちはこんな社会を作ってしまったのかと疑問がわいてくるに違いない。経済効率を高め、競争力を向上させることに、どれほどの意味があるのだろうか。もっとましな人生はないのか。もっとましな資本主義はないのか。ハンディはこう問いかけるのである。ビジネスマンにとって、仕事と人生の意味の関係は大問題である。この問題を社会体制の問題とつなぎ合わせた点で、本書はよくできた構成であり、ベストセラーになったというのも肯ける。

 私たちの社会はすでに一定の豊かさを実現し、また経済成長の停滞期に入ったことによって、「人生と仕事の意味」をもう一度ゆっくり考え直すことができる環境にある。そうした中で資本主義社会の新たな構想を求めるならば、われわれの「仕事」がもつ意味を足元から問い直すという作業が必要となってくるだろう。今村仁司著『近代の労働観』(岩波新書)および、杉村芳美著『「よい仕事」の思想』(中公新書)は、そうした問題を考えるための手掛かりとなる。市場を肯定しながら限定する道は、まさに、よき仕事をするという人生論的課題と密接に結びついているだろう。

(経済思想)